2011年2月10日木曜日

権利と責任は紙一重

皆様

こんにちは。viwaの奈良里紗です。

今回は、いつもとは少し違った視点で書いてみます。

こんな経験ありませんか?

��.「白杖(はくじょう)は人目が気になるからもちたくない」
��.「みんなと同じ教科書がよいから拡大教科書(点字教科書)は使わない」
��.「メガネはださいから、コンタクトにしたい」

これらは全て「~したい」と思っていることですから、
自分で判断し、それを遂行する「権利」があると思います。

ところが、これらにはそれぞれ権利を主張し勝ち取ることによって
生じる「責任」もあります。

��だったら、
白杖を持っていれば事故にあうリスクも少ないですし、
万が一、事故にあっても相手に責任が生じることが多くなります。

ところが、白杖をもっていないで事故にあった場合、
「目が悪いのに、白杖をもって歩いていないほうが悪い」
となってしまい、自分を守ることができません。

��だったら、
配慮を受けるかどうかの選択権限は本人にありますが、
配慮を受けずに成績が下がっても、学校のせいにはできません。

��だったら、
メガネではなく、コンタクトにするリスクを理解した上で、
コンタクトにする必要があります。
例えば、目の病気によっては、コンタクトにすることで悪化することも考えられます。
悪化してもよいから、おしゃれでいたいと思い、コンタクトにし、
視力が悪化してもそれは自己責任でしかありません。

視覚障がい当事者、あるいは保護者は、
何かの判断をするとき、あるいは、主張をするとき、
それによって生じる「責任」についても考えてみてくださいね。

そして何より、こういったリスクを
本人や家族が十分に理解し、話し合った上で
それを行うことが大事だと思います。

視力は悪化させないほうがよい
というのは誰もが思う正論です。

でも、視力が悪化してもよいからやりたいこと、
挑戦したいことがあることもあります。

視力を失うことで、自分の決断を後悔するかもしれません。

でも、もしかしたら、視力もかわらず、充足感を得られるかもしれません。

色々な可能性を踏まえて、最終的な決断は本人にゆだねられます。

必ずしも、正論と同様の道を歩まないこともあるでしょう。
でも、それが納得の上のことでしたら、それを応援、サポートしてあげてほしいなとも思います。

結論のでない話題ですが、
それぞれに考えてもらいたいなと思って
話題提供をさせてもらいました。

あなた自身に今決断が迫られていることはありませんか?

viwa 奈良里紗

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