2019年11月13日水曜日

当事者が語る触覚の感覚と記憶

皆様

こんにちは。viwaの奈良です。

今回は、和太鼓奏者である片岡さんの触覚と記憶に関する素敵な文章をご紹介します。
いつも、とても面白い視点で分掌をつづられている片岡さんのブログやメールマガジンも必見ですよ!
もちろん、本物の和太鼓の演奏、私もいつか体感してみたいです♪
https://ameblo.jp/funky-ryota-groove/

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コラム「私の視点」
「触覚をたどる」
皆さんは何かの印象を心に焼き付ける時、
五感のうちでどれを最も大事にしていますか?
僕は触覚です。
触り心地や手で感じた形状、重さが
その対象物と結びつきます。
それが呼び水となり、時に思いがけず過去の出来事が思い出されることも。
今回は僕のそんな瞬間について書かせていただきます。
全盲の僕にとって耳から入る情報と同じくらいに、
手や全身の肌で触れた時の感触は、ものを認識するうえでの大切な道しるべ。
スマホやパソコン、現在演奏で使用している種々の太鼓、
旅先で出会った様々なもののように、
失明以後に初めて手にしたものについては、
目で見た印象を知らないので、なおのこと触覚から得た情報が、
そのものを表す印となります。
視覚イメージが思い起こせるものについても、
年々想起するものが変わってきました。
例えば、西瓜(すいか)。
かつては、皮の緑と黒の縞模様や、赤い果肉に粒粒と種がある映像が
詳細に浮かびましたが、
現在では、そういったヴィジュアルは少しぼやけて、
味や舌触り、口の中に広がる果汁の水分が思い浮かぶようになりました。
そしてもう一つ、全盲になりたての10歳の時に感じた、
指の感触が戻ってきます。
ある日、当時通っていた盲学校の給食で、
デザートの西瓜の皮とお皿を持って下膳していたところ、
たまたま親指が皮に残った実に触れたので、
少し押してみると、
ブチブチブチっと細かな泡がはじけるような音が聞こえそうなくらい、
指の下で果肉がつぶれ、
汁が染み出していく様がよくわかる。
その少しくすぐったいような感触が面白く、新鮮で、
しばし夢中になってしまいました。
点字を覚えだし、触れることが、
これから自分にとっての「見る」ことになるのだと、
認識しだした当時の僕の心に、
目だけではわからない感覚の面白さが芽生えたあの瞬間は、
触察する喜びに目覚めるきっかけの一つです。
目でも見たことがあるし、手で触れたこともある物を想像した時、
ある時期までは視覚情報が鮮明に像を結んでいました。
ところが、記憶の画像は徐々にディテールが崩れ、
象徴的で不鮮明な映像となって、
代わりに、触覚の記憶がはっきりと形を成すようになりました。
それは、見えていた頃の記憶を徐々に失うという意味でもあるので、
寂しい部分もありますし、目で楽しむものについては、
時折見たいと切望することもあります。
10年ほど前の春、
ふと思い立って母校上智大学の前にあるお濠(ほり)を歩いていた時のこと。
ちょうど桜が咲いており、お花見を楽しみながら散歩する人がちらほらいる中、
僕の真上でも咲き誇っている桜の美しさは、いくら触ってもわかりませんでした。
その不確かさが、
当時、演奏活動について疑問や焦りを抱いて不安に思っていた気持ちと重なり、
苦い痛みを感じました。
楽しげに桜をめでる人たちの雰囲気に水を差してしまいそうで、
いたたまれなくなって帰ろうとした時、
「あの」と中年くらいの女性の声がしました。
「これ、触ったら分かるかしら?」
そういって渡されたのは、手のひらいっぱいの花びら。
色も見えない、香織もかげない桜。
自分にはもう意味をなさないものなのかもしれないと、
背を向けかけた心が、繋ぎ留められたようでした。
あの時触れた花びらの滑らかな感触は今でも忘れられません。
手の届く場所にある喜びと暖かさを忘れてはいけない、
そう教わった気がしました。
桜の花を思い描く時には、いつでもじんわりと
あの切なくて暖かい思い出が胸を染めます。
子供の頃見た桜の美しさは
どんどん薄らいでいくけれど、
あの花びらの手触りと、
手渡してくださった方の心の温かさが重なって、
僕にとっての桜は、かつてよりも明るく美しいものに思えます。
もう増えることはないであろう
視覚の記憶の鮮度は落ちていくけれど、
触覚がもたらす感覚が増えていくことで、
大切な何かが心に刻まれているように思います。
思い出が詰まった写真のアルバムをめくるように、
僕の肌にはたくさんの記憶と大切な出来事が収められている。
それらをたどる時、一瞬で僕の心は時間も空間も超えていける。
いつか年を取って、自由に出かけることができなくなった時、
数えきれない触覚の記憶を通して、心が旅をできたなら、
すごく豊かなことだと感じます。
その日のためにも、手で見ること、これからも大切にしていきたい。

ーーーーここまでーーーー

いかがだったでしょうか?

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