2020年9月26日土曜日

私(スタッフ「ハチ」)の障がい受容~小学生 前編~

皆さま


こんにちは、ハチです。はじめましての方も多いと思います。私は現在大学で社会福祉について学んでいる者です。突然ですが、皆さんにとっての「幸せ」とはどんなものですか?きっと、幸せの定義の基準は人によってそれぞれだと思います。福祉は「ふだんのくらしのしあわせ」を表す言葉ということで、それぞれの人にとっての幸せとはどのようなものなのかを、私は日々考えながら過ごしています。

とは言っても、実は私も福祉サービスを利用している視覚障がい者の1人なんです。まず、私の見え方についてお話します。私は、先天性の無虹彩症という難病を持っていて、それによって緑内障にもなっています。視力は両眼0.1程度ということで左右の差はあまりなく、視野にも問題はありません。ちなみに、眼振が激しいそうですが、言われるまで自覚がなかったほどで、普段暮らしている上で支障は出ていません。私の特性としては、無虹彩症や緑内障の影響で眩しいところが苦手という点が挙げられます。

次に学習環境についてです。小学校は愛知県にある一般校、中学校は筑波大学の附属盲学校に通いました、高校も附属盲学校志望ではありましたが、受験に失敗したため高校は名古屋盲学校に通うこととなりました。

現在は大学に通って学習しているわけですが、自分の障がいについて受容する場面が、これまでの成長過程でも多くありました。自分がこれまでどのように障がいと向き合ってきて、両親や周りの人にどう支えてもらいたかったのか、何をしてほしかったか、というお話をこれからさせていただきたいと思います。小学生のころはマイナスなエピソードが続きますが、そこから立ち直っていく過程を読み取っていただければ幸いです。


1.小学生時代

 地元の小学校に通っていた小学生の時の私は,障がい者であることが原因でいじめられていました。いじめについて先生に相談してはいたものの、状況が改善されることはなく、毎日が辛いと感じていました。いじめられることで感じる辛さは、悪化していくにつれ増大し、障がいを持っていなければ、こんな辛い思いをしなくても済むのにと感じるようになっていきました。障がいを持っていることに対して、イライラは日を重ねていく中でどんどん増していきます。当時の私は、障がいを持っていることはできないことばかりなのだと感じていました。確かに、障がいを持つことにより、生活する上で不便だと思うことはあります。しかし、障がい者は弱い者でもかわいそうな者でもないと今の私は思います。困った時に助けてもらいたいだけであり,同じ人間であることに違いはないと感じるのです。

また、疑問に感じていたこともあります。当時は、周りと比べることが多くあり、あらゆることに挑戦したいけど、自信が持てないという状況であったように感じます。配慮して免除されていたことに関しても、頭の片隅では、なぜ皆と同じように行動することができないのだろうと行動を制限されているかのように受け止めてしまい、疑問に感じていた部分もありました。また、自分自身でどの程度物事に取り組むことができるのか、ということを模索中であったこともあり、当時の私にとって不満に感じることもありました。このように他の人と同じように行動したいと思う反面で、いじめを受けていることで自己肯定感が下がっており、なかなか自信を持つことが難しいという現実にも直面していました。そのため、小学生の頃の私は、人に物事を代わりにしてもらうことが多かったように思います。

とは言っても、クラスメイトと同じように授業を受けられないことに関して疑問を感じていた部分もあります。体育の授業で球技を行った日のできごとです。先生は、クラスメイトが球技をしている間、私をグラウンドの隅の方に座らせていました。当時の私は、皆と同じように扱ってくれないことに疑問を抱いたり、不満を感じたりしていました。しかし、今振り返ってみると、危険な状況の中で授業をさせないため、先生なりに配慮してくださったのだと思います。ただ、本当にしてほしかったことはそのようなことではないとも感じています。本当は、危ないからと言って最初から活動自体に参加させないようにするのではなく、クラスメイトと同じ活動を行っていくにあたって、どのような点に気を付け、どのような工夫をすれば良いのかということを、私と一緒に考えてほしかったと思っています。


小学校前編は、以上です。

後編へ続きます。


viwaスタッフ

ハチ

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