2020年10月25日日曜日

私(ハチ)の障がい受容~高校生編~

 皆さま


スタッフのハチです。

前回の小学生編に続き、今回は高校生編をお届けします。

小学生編(前編)はこちら↓

https://www.viwa.jp/2020/09/blog-post_26.html

小学生編(後編)はこちら↓

https://www.viwa.jp/2020/10/blog-post_4.html

中学校編

https://www.viwa.jp/2020/10/blog-post_18.html



〇高校生時代

 盲学校での中学生活に充実感を得た私は、引き続き盲学校の高等部へ通うことを決め、大きな期待を胸にして進学しました。と言っても、受験に失敗しているため、周りの人の支えがなければ、気持ちを切り替えることは難しかったです。中学生活を附属盲学校で3年間過ごし、自分が大きく成長できる場であると実感したため、高校も附属盲学校に行きたい!と私は考えていましたが、結果は不合格でした・・・。それを知った時は、自分なりに頑張ったのに不合格になってしまい、これから私は成長していけるのかと不安になりました。

 実際に高校へ進学してから、最初は附属盲学校のことを思い出しながら過ごしていました。そのような私に、父親に残念なのも分かるが、もしかしたら名古屋の盲学校ならではの発見や成長があるかもよ、と声をかけられてからは、環境への見方が少し変わりました。確かに、附属盲学校では主体性を大切にしていたり、クラスメイトが多いことで視野を広げやすかったり、人間関係で困った時にも相談できる相手がたくさんいたため成長できる場面が多くありました。しかし、父親の言葉を聞いてから、名古屋の盲学校ならではの良さが見えてきました。クラスメイトの数が少ない分、1人ひとりと深い関わりを持てるようになったり、自分の役割が作りやすかったりする部分もあり、少しずつではありますが、名古屋盲学校での生活を前向きに送ることができるようになっていきました。

 また、高校に進学した当初は、附属盲学校のことを想像し、地方盲学校は授業の進捗状況が遅いのではないかと気にすることが多くありました。そのような時にも高校時代の私を支えたものがあります。それは、附属盲学校で数学を教えてくださった先生が卒業メッセージとして、送ってくださった言葉です。学生時代に学習した内容を大人になってから多少忘れてしまっていたとしても、学生時代に自分が学び、考え、何を身につけたのかといった当時のエピソードを思い出してもらえれば嬉しい、という内容でした。この言葉を思い出してからの私は、授業の進捗状況よりも科目ごとに身につけられる力は、どんなものがあって、それらを身につけていくためには、どのように学習していけば良いのかということを考えるようになりました。

 それからの高校生活は、中学時代で大きな成長をすることができたこともあり、様々な場面でモチベーションを上げて物事に取り組むことができました。しかし、そのような中でも葛藤がありました。親元に戻って母親と生活するようになったことで、自分にとっての嫌な思い出がフラッシュバックすることがありました。小学生のころに母親に否定されていたことで、社会からも良くないイメージを持たれているのではないかという不安を感じたことがありました。また、満員電車の中で邪魔者扱いをされて暴力を振るわれたこともありました。高校にも相談はしたものの、自分の中で抱え込みすぎてしまい、自分が障がいを持っていることで人に迷惑をかけていないかと不安になりました。街中で歩いていても、さっきすれ違った人とぶつかっていないか、傷つけていないかと感じ、不安で仕方なく時期がありました。しかし、仲良くしてくれていたクラスメイトに話を聞いてもらう中で、過去に囚われ過ぎず、色々なことに目を向けた方が良いと感じるようになり、不安になる事が徐々に減っていきました。

 その後の高校生活で色々な事に目を向けていく中で、電子教科書の実証実験や生徒会活動へ参加するようにもなりました。先ほど挙げたクラスメイトと協力し合いながら、学内の環境を良くし、人の役に立つために、あらゆることに目を向けてたくさんのことを考えていったのです。その中には先生に却下されることもたくさんありました。例えば、各委員会の話し合いの進行を先生ではなく、生徒が行うべきなのではないかという案です。私は主体性を大切にしながら、積極的に物事に取り組んでいきたかったので、却下されたときにはとても残念に思いました、他にも、部活動の活動時間の延長を検討したこともありました。しかし、そのような中でも、階段を見やすくするというプロジェクト案を提案した時は、生徒全員の意見を集めることができる機会を作ってもらうなど、先生の協力を得ることができました。そして、このプロジェクトでは色覚障がいなどのことも視野に入れて検討することとなりました。視覚障がいと一言で言っても色覚や視野など症状や見え方は1人ひとり異なると思います。階段を見えやすくするという、この活動を通してそれぞれの違いに合ったものは何か、自分と違う症状や病気にはどのようなものがあるのかを考えるようになりました。そして、これから多くの人と関りながら障がいについてより理解を深めたいと感じるようになりました。これが、大学進学への大きなポイントとなったのです。

 進学を考え始めた頃は、福祉に興味を持ったものの、心理面や環境面などどのような分野で人を支えたいのかは考えておらず、漠然としたイメージしかありませんでした。しかし、志望校を決めるときには、母親から社会福祉士は幅広い分野で働いているということを教えてもらい、大学に通いながら詳しく知りたいことを見つけていけば良いのではないかと意見をもらいました。そのことにより、具体的な考えを持つことができるようになりました。父親は、私のやりたいことを尊重しながら、受験に失敗したときのことや将来のことを考えて、盲学校の専攻科など他の選択肢についても提案してくれました。両親に高校生活で考えたことを細かく説明したことはありませんでしたが、私の目指すものを認め、大学での私の障がいに対する配慮に関しても一緒に考えてくれたことで、私は無事に現在通っている大学に進学することができたのでした。


次回は、大学生編をお届けします。



ハチ

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